2024年12月14日(土)「「涓泉亭」萱野三平 縁の地を巡る」
Nガイドの「こきん」の墓での講話。
三平の姉「こきん」は、新稲村を作った大庄屋の吉田家に嫁ぎました。三平は自害の前日に姉に会いに来ています。
今日は当代吉田家のお宅にお邪魔して、「こきん」が嫁入り道具に持ってきた雪見灯籠と、三平自害後、辞世の句を書き入れた掛け軸を見せていただきました。
新稲の一本杉と庚申塔でIガイドの解説。
青面金剛と刻られた庚申塔が立っています。1677年造立
新稲の愛宕社は防火の神さんです。毎年、京都愛宕神社から護符を受けて祀っています。
光明寺は、明治7年に箕面最初の小学校となりました。また、樹齢300年以上の大イチョウがあり、大阪府の天然記念物に指定されています。
年貢収納倉がここにあったそうです。俵の入出荷を担った若者たちの力比べをした大きな石が残っています。
カルピスの創始者 三島海雲氏の生まれ育った教学寺で、Sガイドの熱血講話です。中国で勤務中、モンゴル人から乳酸菌と酵母の製法を学び、カルピスを発明したそうです。
春日地蔵
前を流れる鍋田川の改修工事の時に、川底から出土した石像を集めて供養しているものです。
地蔵は少なく、観音、阿弥陀など素朴な像や、小さな五輪塔などが大部分です。
萱野三平の墓
この墓は三平が没して35年目に、兄と甥によって建てられたものです。経緯等をSAWガイド、Uガイド、Tガイドに解説いただきました。
三平亭で最後の講話は、Mガイドが担当しました。
歌舞伎、映画等で描かれている萱野三平と実像ではかなりの違いがあることを説明させていただきました。
Mガイドは、今回ハイクリーダーを担当したことで、約半年、多くの資料を集めて勉強してきたそうですが、その事で本人自身が今までの理解との乖離に大きく驚いたそうです。。
特に地元の方達が、萱野村の伝統を300年以上も守っていることには、心より頭が下がります。
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